YUJI ONIKI at lete

YUJI ONIKI interview
アルバム『WOODSTOCK』ブックレットに掲載したインタビューです。

宅録という感覚でもなく……そうだな、“町録”とでもいいますか。

■まず本作のタイトルについて訊きたいんですけど、実際のウッドストックは、60年代に行なわれたフェスティバルとはまったく違う場所だと聞いてますが。


Y: ええ。音楽祭はヤスガーズ・ファームという場所で、ウッドストックから車で1時間ぐらいかかるんです。引っ越してから地元の人に聞いたんですが、当時イベンターがウッドストックに申し込んだら町の人から猛反対されて、じゃあ名前だけでも、という具合で名前だけが一人歩きしたということでした。今でも観光客が町にやって来て音楽祭はどこだったのと聞かれることもあって、あそこ曲がって100キロぐらいですよと答えたりして(笑)。確かに昔からアーティスト・コロニーの先端として知られた町ですが、今でも人口は4〜5千人ぐらいで、冬はゴースト・タウンだねとフェルナンド(・カブサッキ)にからかわれました。

■タイトルはちょっと気になりますね。

Y: 誤解を招くということですか(笑)。僕は曲名の次にアルバム・タイトルが苦手なんですが、今回はある特定の場所――ウッドストックで録音を収めたということが結構、音作りの方向性を決定したような気がするんです。意図的に考えていたわけではなかったんだけれど、地元のリズム・セクション(サラ・リー、ジョー・マジストロ)をはじめ、他のミュージシャンも皆、外国や他の州からわざわざ自分の家に来てくれて参加してくれたりして。勝井(祐二)さん、ダグ(・ギラード)とフェルナンドたちは、四季別々に1週間ほど泊まり込んで、いわゆるプロ・スタジオとはほど遠い環境でこのレコードは作られたんです。散歩したり、お茶とか飲みながら交わす会話の時間の方が多かったりして。録音を初めてから1年も過ぎましたが、アルバムに関わった人たちと話すと、そういえばこんな天気だったよねとか、あのお店は愛想悪かったけれど朝食はうまかったという話になってしまって、全然音楽と関係ない話が多いんです。なんかそうした生活の流れをこんな形で記録した、そんな感じでした。東京とか他のスタジオで数週間、非日常的な体験をすることと違って、そこに住まなければできなかったですね。かといって宅録という感覚でもなく……そうだな、“町録”とでもいいますか。だから一番うまくまとめて表現するのは自分の中に内在している気持ちやコンセプトではなく、むしろ当時の生活の環境――ウッドストックという町じゃないのかな。

■制作は2004年から?

Y: 2003年の夏にサンフランシスコから引っ越したんだけど、そのあと2004年の1月から4月まで久しぶりに日本に滞在して、
7月くらいから歌を書きはじめて。最初は、アコギを弾いて、あとは誰かがエレキかピアノとかをやってくれたら、それでいいかなと思っていたら、だんだん規模が大きくなっちゃって。ただ今までのアルバムと違って、核となる4〜5人のバンドがあってという感じではなくて、今回は歌だけで始めて、友達の知り合いとかに来てもらって「何か弾いてくれないか?」という感じで積み上げていったような感じで。だから、あらかじめ“こういうイメージ”というのは全然無かった。


■その変化は住んでいる環境が変わったというのも大きい?

Y: まぁありますね。条件として……避けがたい条件として孤立した環境なんで。引っ越して一番ショックだったのは、新聞が配達されていないんです。ニューヨークに引っ越したのに『ニューヨーク・タイムズ』が読めない(笑)。冬になると友達にも会いに行かないんですよ、面倒くさくて。だから心理的にも「バンドでやってみようぜ」という感じではなくて。コツコツ自分で考えながら、電話で誰かを呼び出して演奏してもらって、また数ヶ月間会わないという感じで。冬なんかほとんど何も動かなるし、カラー写真を撮っても白黒に見えるぐらいモノ・トーンになって、ペースがないぐらい凄くマイ・ペースになってしまうんです(笑)。曲もミディアム・テンポ以上にならなかったのも、それが関係していると思いますね。かといって都会的な、こだわりのあるスロ−でもないんです。ごく自然……冬眠している熊の夢のような(笑)。

録音の状況と一緒に、“そこにもう居ない”ということが今振り返ってみると大切だと思う。

YUJI ONIKI / CHARA / AKINO ARAI

■それで、春に完成したんでしたっけ?

Y: ほぼ。熊と一緒に友達も各家から出て来て、冬から解放されたという気分を共同的に味わう感覚でわいわい騒いだりして、ほとんど春を祝う気分になりますね。その頃に勝井さんがニューヨークへ来て。ニューヨーク経由でアルゼンチンに行って、戻るときに1〜2週間くらいウッドストックへ来て、最後を一緒にやってくれて。

■「終わった!」って感じでした?「終わらせなきゃ」という感じでした?

Y: 両方です(笑)。「終わった」という解放感は、いつもと同じようにあまりなかった。その時点で、秋から日本に住むことが決まっていたから、それまでに音源は終わらせなきゃというのもあったし。前に小説家から聞いたアドバイスなんですが、コンマを足したり削除したりしている段階に入ったらもう作品は完成されていることだと。だから、いろいろ音をいじってみたりしているのに気づくと終わりだと今回わかりました。気付かないとえらい目に遭うんですよ。1年以上前に終わっていたレコードが永遠にだらだらと続いたりして。だから“日本に移る”という締切があったのは助かったし、録音の状況と一緒に、“そこにもう居ない”ということが今振り返ってみると大切だと思う。

住めば住むほど“日本人じゃないな”っていう。

■プロフィールに“アメリカ生まれの日本人”とありますが、自身でどういう感じですか? 日本人という感じ?

Y: ここ3ヶ月くらい日本に滞在しているんですけど、住めば住むほど“日本人じゃないな”っていう。

■感覚的な部分で?

Y: それもあるし、言葉が少しずつ自然に話せるようになると、却ってその言葉の奥にあるもの、例えば常識とされている価値観とかが見えてくるんですよね。ただ、日本で知り合うミュージシャンの友達とかに関しては、そういうことはあんまり考えないですね。音楽には言語とは違う、ある意味でもっと幅広い世界観があるような気がして、そこは個人的にいうとほっとする“場”ですね。

■僕が最初にYUJI ONIKIの音楽に出会った時、よく分からなかったんですよ。TICAの石井さんといる時にleteで流れていたんだけど、不思議な感覚だったんですよね。「日本語で歌ってる曲もあるけど、日本人の音楽じゃないよね」みたいな話になって。どっちでもなくてどっちでもある、みたいな。こうやって日本語で話していても、日本人的な感覚でもないし、かといってアメリカ人だなという感じでもない。音楽にもそれが出ているような感じがするんですよね。

Y: 石井さんにも「こういうロックは日本人にはないよね」って言われたんだけど、自分がやっていることはロックとも思ってなくて。

■うん。なんかそういう“記号”的なものが入っていないと思うんですよ。だから説明が難しい。ロックでありポップスであり、そのどっちでもありどっちでもないところを行き来している気がする。そういう宙ぶらりんな感じが、YUJI ONIKIの音楽にもオニキさん自体にも感じる。

Y: 子供の頃に聴いていた音楽で深い印象を残しているのは、補修校に行かされていたんだけれど、その移動の片道30分間に車で流れていたAMラジオ……今思えば、その70年代の不思議な時代の感覚があるのかもしれない。ジャンルの区別がなくて、マーヴィン・ゲイやウォーの次にウイングスやトッド・ラングレンが流れたり、ディスコだったり、アース・ウィンド&ファイアとか……その頃の感覚があるのかもしれない。

YUJI ONIKI BAND

■バンドはやっていたんですか?

Y: 本格的にやり始めたのは大学生の頃でした。大学は中西部のデトロイトから30分の町にあって、結構ミュージシャンが活発で刺激的でしたね。僕が住んでいた寮も変なとこで、授業もカフェも全部寮の中にあって、一日中寝間着のまま過ごせるという(笑)。で、その喫茶店でもオープン・マイクとかあって、そこで初めてオリジナルをソロで演奏し始めて(寝間着は着てませんでしたが)、他のミュージシャンと知り合って、2年ぐらいバンドをやってなんか違うなと感じで、ふっとした思いつきでスコットランドに留学することにしたんです。ウッドストックのパターンに似ているんだけど、どこか孤立というか知らない環境に行きたいなと思って。それでバンドもなく、単純に何も考えずに“歌”を書きはじめて。それまで何曲もオリジナルがあったんだけど、本当にまともな歌はこの時から書き始めましたね。ウッドストックとはまったく違う意味でエジンバラも凄い静かな町で、一日中散歩したり本を読んだりして、ちょっと買い物をして気がついたら誰とも会話を交わしていない数日を過ごしたりしていました。友達はいるんだけど、別に今日はいいやという感覚で。平凡な毎日が凄く面白かった……これ矛盾ですか(笑)。

“此処”っていうのが掴めないっていうか、“此処が俺の居場所”っていうのがピンとこない。

■シンガー・ソング・ライターって、ルーツというか“ここがあるからこそ俺がある”みたいな感じが多いと思うんですけど、YUJI ONIKIにはそれがない気がするんですよ。それこそ逆に、“此処ではない何処か”にいる感じがする。

Y: 例えば、アメリカの典型的なソング・ライターって、とりあえずストーリーを作るのが上手いじゃないですか。でも僕はそれをやろうと思ってもできないんですよね。で、なぜできないかといえば、“此処”っていうのが掴めないっていうか、“此処が俺の居場所”っていうのがピンとこない。ただ、そういう“宙ぶらりん”だとそれなりの無責任さというか、うまく説明できないけれど、内面的な世界より周りの空間ってどんなものかなという感覚に頼りがちなのかもしれない。

■そもそもレコード屋さんで洋楽コーナーに置かれるのか、
邦楽コーナーに置かれるのかも分からないし。レーベルの人間として、資料を作るにもスタイルを限定できないし、したくなかったので、難しかったです。


Y: すみません(笑)。

■今回の参加ミュージシャンも面白いですよね。様々な国籍で、様々なスタイルのミュージシャンで。

Y: うん。フェルナンドはアルゼンチンの人だし、勝井さんは日本人、ダグはアメリカでも中西部の工業都市の廃墟みたいなクリーブランドという町――ジム・ジャ−ムッシュの『ストレンジャー・ザン・パラダイス』という映画にも出てくるんですが、東欧と同じぐらい異世界として描かれているですよ。だから変な言い方だけど、やっぱりガイデッド・バイ・ヴォイシズの皆さん同様、国籍が微妙に違うのかも。ソロ・アルバムだけど、そういったような空間的な広がりというか多重性はあると思いますね。

■巡り合わせというか、運もあるわけじゃないですか。もしかしたらうまくいかないかもしれないわけだし。YUJI ONIKIの音楽に、いろんな地域の、各々いろんなスタイルの音楽をやっているミュージシャンが参加しているというのが、なんかもう象徴している気もしますよね。

Y: ダグと知り合ったのも本当に巡り合わせとしか呼びようがないですね。ガイデッド・バイ・ヴォイシズのライブを見に行って、そこに僕と一緒にいた連中が、後でバンドがいる打ち上げの場所知っているから行こうと言い出して。僕は疲れて行きたくなかったんですが、車もなくて仕方なくバーでぼーっとしていたら、友達がダグに紹介してくれて、「ユウジ……ひょっとしてユウジ・オニキ?」と言って、握手して僕の歌を口ずさんだりして呆然としましたね。大学時代にDJをやっていて僕のファ−ストをよくラジオ番組でかけてくれたらしいです。こういう出会いはどう計算しても起こすことはできませんね。そんな意味で、誰かの音楽に巡り合うことと似ているのかもしれない。それは偶然かといえば偶然だし、必然かといえばそうだと思う曖昧な感覚ですね。


DDCA-5031 / YUJI ONIKI / WOODSTOCK

YUJI ONIKI
Woodstock
CD / DDCA-5031 / \2520

1. Place Names
2. If I Should Arrive Soon
3. Unlikely
4. Suncave
5. Capsule
6. Narcoleptopia
7. AM
8. 2nd Act
9. Better Luck Tomorrow
10. Zapruder



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